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2018.06.25 Mon 胸と背中

じっさい今僕の暮らしは望まない形で家族と離れたところにその時間的な大半を置いてしまっているのだが、そのことが決まった時あるいは決まりかけていた時(つまり会社から転勤の話があって、赴任のスタイルとして当面は家族帯同ではなく僕の単身赴任と決めかけていた時)、当然のことながら僕は今回の変化を、望まないながらもポジティブに捉えよう、何か代え難い価値がそこに隠れているはずだ、そういうマインドを必死で作ろうとしていた。
その姿勢はもちろん間違っていないし、今も諦めてはいない。だけど。
この1.5ヶ月(もう1.5ヶ月経ったのか)で得たもののことを考える。僕は「家族と一緒にいること」こそが今の僕にとっての第一義だということを知った。言い換えるならば、単身赴任の選択をした自分がある意味で間違っていたと知った(全面的に間違っていたとは思わないけれど)。
三歳になった息子のことを考える。彼は父親のことが大好きだから、父親と離れて暮らすことがとても寂しい。もちろん母親のことも大好きだし(本当はたぶん父よりも何倍も母が好き)、本当に幸いにも保育園の先生や友達にも恵まれているので、概ね申し分なく幸せだ。
だけど彼は父親と離れて暮らすことで別れを知ったし(もちろん再会を約束された別れではあるが、独力で再会を実現できない子どもにとっては、ある意味でそれは本当に別れだ)、たぶん無力感のようなもの、自分がどれだけ望んでもけっして思いどおりにはならない事柄があるのだということも知ったはずだ。
それらはとても大事な人生の勉強であると思うし、今回の変化によってもたらされたギフトといえるかもしれない。だけど二歳や三歳でそんな諦観めいたものを知る必要があっただろうか。そんなふうに思う。

僕は今、息子のため(=自分のため)に何ができるかと思い悩む。
地震の恐怖は息子から数日間笑顔と言葉を奪ってしまった。側に居てやれなかったこと。
昔、家族のために身を粉にして働く人達を見て、誰もが人に幸せを押しつけるのではなく自分のために生きるべきだと強く思った。背中を見せること以上にできることなんてないはずだと。
その気持ちは変わっていない。でも今僕はそれと同時に、夏に向かう新緑のような確かさで、家族のために生きたいと思っている。息子が見る僕の背中は仕事に向かうカッターシャツだったり、ギターケースを背負っていたりするだろう。だけど胸のうちではほとんどいつも、家族のことを思っている。白状すると、それこそ本当に十代の頃の恋愛のように。
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