DIARY

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2017.10.04 Wed

こんなゴミゴミした世界に産み落とされた僕らはある意味全くもって不幸だ。なぜ当たり前のようにこんなせせこましい世界で生きて死ななければならないのか。だけどせっかく素晴らしい生を受けたのだから、全くもって喜ばなくてはいけない。

だけどゴミゴミした都会が嫌だ。仲良い人みんな連れてとんでもない田舎に引っ込んで暮らしたい。そこでは建物同士が「おいどけよ、もうちょっとそっちに寄れよ」とひしめき合って乱立しているようなことはなく、互いに1ヘクタールぐらい隔てて遠目に健康状態を確認できるぐらいの距離感で居る。もちろん背の高いビルなんてない。
夜は必要以上の照明は使わず、眩しいLEDの街灯に目を細める必要もない。毎夜、降るような星の下を散歩して、草はらで思い切り寝転がったりするのだ。
浜の方から少しの暖かい光が漏れている。誰かが焚き火をしているのだ。風に乗って、小さくギターの音が聴こえてくる。

妄想だ。いや、夢だ。

世界を夢みたり宇宙を夢みたりする。今僕たちは一体どこにいるんだろう。
こんなにちっぽけな、人間(1〜2メートル程度)が宇宙(半径465億光年以上)のことを理解しようしようしようしようとしているんだぜ。まだたったの0.1%しか理解できてなかったとしても、それだけでもすごい。そう考えたら生命って本当にすごい。
一人の人間が空に届きそうな、そんな宇宙を内面に持った天才が、いるんだろうな。人間だけじゃなく、動物や植物、目に見えない価値や力は今の技術では測れないけれど、本当は宇宙のもっと倍ぐらいの宇宙があるはずだ。生命ってすごいな。
僕は手を伸ばしたら、どこまで届くかな。そうこう言ってるうちにいつか、自分の生命が終わっていくことを知っている。
「もっと自由に生きていればよかった」「やりたいことに正直に向き合っていればよかった」「恐れずにやればよかった」最後みんな思うらしい。このままだと自分だってそう思うかもしれないことを知っていて、なのにそのままでいる僕は、どこか、自分の命は永遠に続くような、無知な魂のかんちがいをこじらせているのか、それともこのままでもある程度満足して死ねるという無垢な魂の目算があるのかわからない。

とにかくまだ終わりの見えない長い長い憂鬱を抱えてときに薄ら笑いながら、僕は今日も今日を生きている。生きている実感は薄れてやしないか。足りないのは喜びか、恐怖か?
時間か、金か、勇気か。

会いに行きたい、上越新幹線に乗って、本当の自分に。角栄ではないけど。
ゴミゴミした都会が嫌だと書いたけど、ゴミゴミした大阪の街と人は好きやったりするからまたこれ。補足してしまった。適当なことを言うからだ。いつも。

東京日帰りとんぼ返り。曇りの日、秋。
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