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DIARY

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2016.08.11 Thu

一昨日風呂の中で思考してて発明した考え方。

僕らの生きる三次元の世界においては、時間はベクトルを成さず、時間というのは上書きされる今の連続でしかない。そこでは、過去に伸びる線は存在せず、要は過去は存在しない。
そこでは、過去に属するものは記憶しかなく、今、過去に関しては記憶にしか価値はない。ということは、極端な話良い記憶だけ残して、嫌な記憶を抹消することが出来れば、最終的に人生の価値は思いのままコントロール出来ることになるのでは。
素敵な記憶の連続こそが、まるで宝石の連なったネックレスのように、人生の価値を決めるしるしなのではないか。素敵な記憶、の定義はあなた次第です。

上書きされる「今」を生きてる僕ら、存在しない過去には絶対的な価値はあり得ないのだから、今を含めた全ての「記憶」が人生の価値を決めるのでは!つまり記憶をコントロール出来れば人生の価値をコントロール出来るのでは!
という考え方です。マッドサイエンティスト風やけど、別にまぁ普通っちゃ普通のことですね。でもちょっとびっくりした。

でもこの考え方、穴があって、地球を飛び出して宇宙の果てのブラックホールとか、原始の世界に戻ったりとか、一部の人の精神の中とか、三次元を超えた場所ではこの幼稚な理論は通用しない。そこでは時間も物理的に移動可能やったりするらしいし…



次は、数ヶ月前にふと発見した考え方。

生命の正体は「循環」なのではないか。
死んだら止まる。心臓が止まって血が巡らなくなって脳が機能しなくなる。回っていることが、生きているということなんちゃうかなという発見。
たとえば経済。たとえば自然環境。自立回転し出したら、それは生命を得たというなのではないか。そのうちにどこかが不調を来たし、うまく回らなくなって、ついには解体したり消滅したりする。町や村なんかのコミュニティが、回らなくなって過疎化したり消えてしまう。
そういったコミュニティが、大きな社会の一部であるように、僕ら人間の一人ひとりも、組織とかの一部で、僕らの属する小さな組織も、どんどん視野を広げると大きな全体の一部に過ぎない。
そう考えたら、宇宙までミトコンドリアと対等の一つの命のような気がしてきますね。

ちなみに話は変わるが、死んだら生き物の魂はどこへ行くのか。僕はこんなふうに考えることがある。
僕らの生きる宇宙は、その外側の世界の子宮で、死んだら僕らの魂は胎内を出て行く。死ぬことは生まれることなんじゃないか。
そこは生まれる前の世界かもしれないし、次の世界かもしれない。だけどまた違ったかたちで、会えるかもしれない。


そんなこと考えてるねんで!シンガーソングライターってやばい人種よね…宗教ちゃうで
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