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DIARY

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2017.08.17 Thu


「昨日の雲見た?」

って聞かれましても、ましてや午前零時過ぎ、まだ昨日と今日の区別も曖昧で、昼間のうだるような暑さにすっかりやられたせいで意識さえも朦朧として、2010年代の暑過ぎる夏の洗礼を毎年のように受けてヘロヘロになりながらもここまで生き永らへてはきたが、今度こそもう本当にこれまでかと思ったほど、今日の昼間の太陽は熱かった。
僕は流した汗が固まって出来た塩の結晶を住宅街の網目に散りばめながら、そう。確かにあの夕方に雲を見た。
それは入道雲の最期の姿だった。最後の入道雲の姿だった。どこかの誰かが見事に注いだ生ビールの立派過ぎた泡のような膨らみを真っ赤に染めて、壊れかけたその朱色の泡は天空に向かって無音の雷を放った。
僕は散々な一日が粉々に砕けたのを知った。溶けた自転車のサドルに跨って、無灯火の魂が宵闇を駆けた。入道雲が最期の咆哮を上げた。東の空、その朱い躯が裂けて濃紺の空が覗いたとき、輝き始めた月が姿を現したのを、夕焼けを背負って走る僕は見たのだ。

僕は答えた。
「見たよ、あれは君だったのか」
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2017.08.11 Fri

眩しくてクラクラするような真昼の風に吹かれながら、さっきから扇町公園の木陰で時間を潰しています。
本を読んでいたら鳥の糞撃に遭いました。何かの吉兆であればいいなぁ。でもクソが、と思います。

良い夏になるよう、がんばろう!

眠たい。
生まれ変わったらおれも野球やって甲子園目指したいな。

2017.08.03 Thu 人間

読んだ本の影響で、サイボーグ化を加速させて人間はいつか、人間ではない何かに変わってしまうと書いたけれど、それを書いた後、夜の町を歩きながらこんなことを考えた。
僕らの暮らしの影に漂う、得体の知れない閉塞感というか、諦めに似た、行き詰まった淋しさのような感覚は、終末の予感から来るものなのではないか。僕ら人間の時代は、もうすぐ終わる。人間でない何かに、取って替わられてしまう。それを進化と呼ぶには、僕らは過去を愛し過ぎている。全ての「僕ら」を、「僕」に言い換えるべきであったならゴメンなさい。
淋しさの正体はそれかもしれない。そうだとして、淋しがってばかりでいいのか。それで誰が嬉しいのか。僕らは、生身の人間として生きて死ぬ最後の世代かもしれないのだ。そして僕はそのことを、自分が生身の人間であることを喜ばしいことだと感じるのだ。
その喜びを最大限謳歌しよう。それが僕らの責任だ。
僕らの世代で残せるものを、少しでも大きく価値のあるものにしよう。それが僕らのやるべきことだ。

やらなくてはならないことを、やることが仕事だ。
やりたくて堪らなくて、やらずにはいられないからやる、それも仕事だ。正直に言えば積極的にやりたいわけではないが、それをやることはどうしても避けられないからやる、それも仕事だ。自分のためにやるのも仕事。誰かのためにやるのも、それも仕事だ。
やらなくてはならないことを、やることが仕事なのだ。それがどういったことなのかは、自分で決めるのだ。

やりたいからやる。やるべきだからやる。
喜んで仕事をしよう。

2017.08.03 Thu サイボーグ

例えば僕らは脳の機能と一部をスマートフォン等のコンピュータに明け渡し、頼り、十二分に活用していて、そういう意味で既にサイボーグであるわけだけれど、とは言っても、頭に埋め込んだチップを介し意識するだけでインターネットと繋がるということはまだなく、今のところある境界線を前提にしたところの「人間」という体裁を保ってはいる。
未来の人間はどうだろうか。彼らにとっては今言ったような行為はごく自然なことで、人類全体が共有するようになった集積知に、脳に埋め込まれたチップを介していつでもどこでもアクセス出来る。また、今はまだ一部しかコンピュータに明け渡していない脳の機能、すなわち思考や記憶について、もはやその大部分をインターネットサーバ上の人工知能やメモリに頼るようになっている。
人工知能の技術が著しく進歩したことにより、誰かがインターネットのサーバ上に置いた思考は、その個人性を保ったまま自ら成長していく。
そうなると、その個人の知能の大部分はインターネット上で独立して生きていることになり、たぶん肉体の方が寿命を迎える頃になると、もう脳の機能の全てをそういったサーバ側に移す、といった行動も起こるかもしれない。その結果、その個人は肉体をなくしていながらにして、コンピュータの世界で永久に生き続ける。
ひょっとしたら医学の進歩によって、肉体における死も回避出来るようになっているかもしれない。そうなると、生殖行動はどうなるのだろうか。種の保存や繁栄は、もはや子孫を増やさずとも叶うのである。
いずれにしても、そのような時代には生死の概念は今と大きく変わっている。おじいちゃんに会いたいな、と思ったらいつでも意識の中で本当に生きたおじいちゃんに会うことが出来てしまったりする。そこにおじいちゃんは、生きたおじいちゃん自身として実在するのだから。

このような世界になれば、知能や精神の面では、全人類の画一化が進むと考えるのが自然だ。だから個人を他人とどう差別化するか、いかにして抜きん出た人物になるかを考えると、肉体を鍛えるしかないような気がしてくる。しかし一方で現代においても既に、脳から発せられる電気信号を使って、すなわち「意識」に基づいて動かすことの出来る義手が発明されたりしていて、肉体そのものの機械化は今後急速に進んでいくと思われる。視力なんか皆めちゃめちゃ良くなってきたりすると思う。機械で作った肉体が生身のそれよりも強靭たりうることは明白なので、体を鍛えたからといってアイデンティティが濃密になるとは言えない。

そんなふうにして人間は、人間とは呼べない何かに変わってしまう。
そんな時代を生きる人たちに、僕は何を言えるのだろうか。
幸いにして僕自身は、そんな時代を経験することなく消滅することが出来そうだ。
音楽は、芸術はどんなふうになるのだろう?彼らにもバッハは、ビートルズは響くのだろうか。それとも僕らが聴いたことのないような波長が、彼らのセンサーを感動的に揺らすのだろうか。
僕には感覚のついていかない、恐ろしい未来だ。だけど芸術の未来には興味がある。