DIARY

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2017.02.19 Sun アヒルの夜 第二話

チャカにビビり過ぎて、森田はレジで普通に百五十万の札束を合皮っぽい銭入れのトレイに載せてしまった。ともあれチャカは手に入れた。手に入れたはよいが、これからこれで何をするのかはまだ山口から聞かされていなかった。いやチャカやねんから誰か殺すんでしょうけど。ひょっとしたら殺さずに、脚とかに一つ穴開けて懲らしめるだけとかかな?ひょっとしたらこのチャカを誰かにまた渡すだけの、物流を撹乱する一ピースなだけかな?殺しは無理やしダメ。ダメ無理絶対。こちらが死ぬ覚悟もないのに、命のやり取りはできません。殺しは、殺しはアカンで。そんなことしたら、お天道様に顔向けでけへん。お天道様に顔向けでけへん。
その夜、森田は再び山口の家を訪れた。

「取ってきた。これやな、成功や。確かに、お渡しします」
森田は噛みしめるように言い、山口の前にチャカを置いた。
「いやでかいヤマやったな!」
森田は明るくそう言ったが山口が喰い気味で切り返した。
「次はそれ使ってもらいますよ」
来た。腰の辺りで骨の陰に隠れていた震えが背骨から一気に駆け上って来た。音が鳴るほどに森田は全身で震えた。
「お断りします」
森田は蚊にギリギリ聞こえるぐらいの声で言った。もちろん山口には聞こえない。だが森田が断りたがっていることが震えの振動か何かから伝わったのかは定かではないが、いつのまにか山口の手中に収まったチャカのお口がこっちを向いている。
「殺ります。お天道様に誓って」
森田は言った。襟足を梳いたせいか首筋が異様に寒い。命のやり取りは既に始まっているのだ。ノルアドレナリンの大放出を感じる。目尻に涙が溜まってきた。森田は続けて言った。
「良い考えがある。お金を先にください」
金もらって逃げたる。と森田は考えていた。アメリカや、アメリカに逃げたる。
「ダメです」
山口が風邪引くぐらい冷たく言った。森田はすごい黙った。すごい黙った後雰囲気変えようと思って喋った。
「ていうか話変わるし雰囲気も変えるけど、ちょうど食事中に来てしまって悪かったけど、今日も北京ダックなん?また良いアヒルが手に入ったの?」
山口が北京ダックを盛大に吐き出した。白髪葱が森田の白髪頭に不時着した。山口は激しくむせ返し、やがてサメザメと泣き始めた。
「北京ダックぐらいしか、もう私には食べられるものがないんですよ…」
唐突男・山口の身の上話が始まった。

『願掛け』という行為をご存知だろうか。神や仏に願い事をすることだが、己の本気度合いを神仏に示すために、願いが叶うまで大好物を断食するという風習が古くからあったりする。
山口が中学生の頃、母親が大病を患った。ある晩、父親が山口に語りかけた。母さんはもう駄目かもしれないと。だけど父さんはあきらめたくない。母さんを失いたくないのだ。母さんの病気が治るなら、父さんはなんだってする。いいか、健。父さんは今日から大好物のブリを絶つ。いいんだ。父さん、母さんが治るなら、ブリを食べられないことなんて屁でもない。いいか、健。父さんの願いの力を、よく見てなさい。
父親の話は山口に衝撃を与えた。新しい発想だと感じた。僕も、母さんのためにできることはないだろうか。
しかし父親の願いも虚しく、母親は少しずつ衰弱していった。父親がブリ断ちしてから一ヶ月ほど経った夜、父親は山口に切り出した。一方で、山口の決意も固まっていた。
「健、一人では叶わない願いも、二人で願えば叶うことがある」
「父さん、僕も願を掛ける。僕は大好物の、ラーメンを絶つよ」
信じられないことに、翌日から母親の病状は快方へ向かった。山口はとても嬉しかった。母さんが治るなら、ラーメンを絶つぐらいなんてことはない。学校帰りによく寄っていたラーメン屋の前は、通らないようになった。時々、どうしようもなくラーメンが食べたくなるときがあったが、爪を噛み山口は耐えたのだった。

一年後。母親もだいぶ良くなったある日、山口が学校から帰ると父親がインスタントラーメンを啜っていた。
「おぉ健、おかえり。ひと口いるか?」
軽いノリで父親は聞いた。
山口が生唾を飲み込む「ごくり」という音が居間に響き渡った。その音で山口のラーメン断ちを思い出した父親から無音の(しまった)が放たれて気まずい部屋の中に浮遊した。数秒の沈黙の後、山口が言った。
「じゃあひと口!」
母親の回復基調は揺るぎないように思えた。ひと口ぐらい、バチは当たらない、当たるはずないよ。これで何もなかったら、そろそろラーメン断ちは終わりにしよう。大丈夫、大丈夫、大丈夫…
「ズズッ、うまっ!…うっ、うっ…」
不覚にも山口は泣いた。久しぶりの「好きやねん」があまりにも美味かったのと、母親の回復を喜ぶ気持ちと少しの背徳感が混ぜこぜになって、感情が溢れたのだった。
「健…健美味いか。ははは、泣くことはないだろう…さ、もうひと口」
父親の目にも涙が溜まっている。
「いらん!もういらない」
そう言って山口は自分の部屋へ駆け込んだ。日常が、ラーメンが帰ってくる。元気な母親とともに。
その夜だった。母親の容体が急変した。山口は愕然とした。尻軽にもラーメンを食べてしまった自分の浅はかさを呪いながら、病院に向かう救急車の中で山口は叫んだ。
「僕が悪いんだ!もう二度とラーメンは食べません!大好きなカレーもやめます!だから神様、母さんを助けて!」
父親が山口に続いた。
「父さんもだ!ブリだけじゃない。大好きなカマスもやめる。もう食べない!」
カマス?疑問符が光の速さで山口の脳裏を駆け抜けて消えた。救急車は夜の帳を割いて病院へと走った。
幸いにも母親は一命を取り留めた。翌日、母親の存命を神的な対象に感謝しながら、改めて山口は誓った。僕はもう二度とラーメンは食べない。ラーメンの次に大好きなカレーも食べない。それで母さんが救われるなら、何も惜しいものなどない。
その日から、山口の地獄の日々が始まった。

真の強敵はカレーだった。その魅力的な、蠱惑的な、暴力的な芳香は、神出鬼没に山口に襲いかかった。商店街で。学校の食堂で。駅のホームで。夕方の住宅街で。路地裏の窓辺で。桜木町で。山口に逃げ場はなかった。頭の中はいつもカレーでいっぱいだった。いつからか、鼻腔の奥に常にカレーの香りを感じるようになった。山口は完全にノイローゼになっていた。高校受験も失敗した。 部屋で一人の時は頭にターバンを巻いて過ごした。
一方で母親は奇跡的に、順調に回復していった。この調子でいけば完治の見込みもあるかもしれないと、医者からも言われた。山口はノイローゼに苦しみながらも、ラーメンとカレーは絶対に食わないと改めて心に誓うのだった。
父親の様子にあまり変化は見られなかった。父さんは辛くないのかな?大好物が食べられないというのに。大人はそんなことで取り乱さないのだろうか。一度だけ、父親と二人で食堂街を歩いているときに、父親が「ぶり大根」と書かれたのぼりを見た後、のぼりからわざとらしく目を逸らし、少し切なそうに笑ったところを山口は見たことがあった。その直後、気を抜いていたためにどこからか流れてきたカレーの香りをもろに吸い込んでしまい悶絶した山口には、父親のデニーロ的な切な顔にかまう余裕はなかった。

一年後、ついに母親は医者から完全回復を告げられた。山口も父親も泣いて喜んだ。その夜、祝いにと、母親と父親の大好物を食べに出ることになった。
「ハマチ!」
寿司屋のカウンターから、山口の父親の威勢の良い声が飛ぶ。
「美味い!」
父親も母親も幸せそうだ。
「父さん、ハマチ、ブリに似てるね」
山口が言った。
「何言ってんの、健。ハマチはハマチ。ブリじゃないよ」
と言って父親はデニーロ的に笑った。
「サワラちょうだい!なんだ健、食べないのか?何か頼め」
父親は知らなかった。いつのまにか山口が、ラーメンとカレーの次に大好きな「寿司」を絶っていたことを。山口の顔面は蒼白で、目は怒りで紅く燃え、それでも母親の回復が嬉しくて笑っていた。ガリをお茶でどんどん胃に流し込んでいく。食えるんだ。ブリやめてもハマチ食えるんだ。カマスやめてもサワラでもタイでもヒラメでもノドグロでも食えるんだ!その場で山口は失神した。

山口は「断ち癖」をやめられなかった。志望校は落ちたが、滑り止めの高校には入学できた。何かを絶たないと、高校に居られなくなってしまうような気がして、寿司を絶った。
部活でレギュラーを獲得したら、その座を奪われたくなくてハンバーグを絶った。必然的にハンバーガーもロコモコも絶たれた。
彼女が出来たのでケーキを絶ったら、甘い物好きな娘で趣味に付き合えず振られた。
成績が落ちないように。友人達との良好な関係が続くように。志望大学のA判定から転落しないように。大学に入ってからは、退学にならないように。車を買ったら、事故をしないように。運転免許が剥奪されないように。
山口は断ち続けた。何かを得るためではなく、何かをなくさないために好物を絶つ。絶つのをやめたら、きっとなくしてしまう。この強迫観念をどうしても克服できなかった。母親はあれからずっと健康だった。それはきっと自分がラーメンとカレーを断ち続けているからなのだ。
このようにして、山口は人生の山肌にしがみつき、好物を次々に捨てて身軽になりながら、ついにこれまで転落することなく登り続けてきた。しかし実際のところ、彼は不幸だった。とてもとても不幸だった。なぜ自分は当たり前に幸せになれないのか?なぜ現状維持に代償が伴うのか?なぜこの変な癖をやめられないのか?なぜ?
もちろん理由はわかっていた。父親だ。あいつはおれの苦しみを知ってか知らずか、のうのうと暮らしている。母親が健康になってからは、ブリとカマスだって好きなだけ食べているに違いない。あいつはおれの人生を滅茶滅茶にしておいて、自分は美味しいものに囲まれて楽しく暮らしていやがるのだ。

「母親が先月亡くなりました。最後まで健康で、ある夜眠りながらぽっくり。幸せな最後だったと思いますよ」
「親父さんは?」
「バリバリ生きてますよ」
山口はそう言って北京ダックを口に放り込み、勢いよく噛み、飲み下した。
「森田さん」
山口は言った。
「私の父を殺してください」

続く
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2017.02.19 Sun ライブ予定日記(夜明けの話)

ぼく達がよく知らないことの一つに夜明けがある。ぼく達は毎日一時間か二時間夜明けの中を生きていながら、だいたいがすれ違ってばかりいて、夜明けのことをまだよく知らない。
白んできた地平のあたりを悠々と流れる雲をよそ目に、鳥達が元気良く我がもの顔で空を飛びまわっている。
朝の空気は冷たい。部屋の中の蒸された空気は膨張した眠気そのもののようで、ぼくはいつも外の寒さ、醒めた明るさと、中の温かさ、暗さとのギャップに不思議さとある種の安心感を覚えていた。朝の散歩から帰ったとき、暗い部屋の家族の寝息の中に、家というものに守られていることの安心感、満足感と、その壁に隔てられた二つの世界のギャップの不思議を目の当たりにするのだ。
子どもの頃、夜明けが不思議で、しょっちゅう徹夜していた時期がある。夜空の色が変わり始めたら、家を抜け出す。夜明けの町はぼくのものだった。

すみません、ライブ告知です!!
歌を聴きに来てください。
お待ちしてます。


◼︎2/25(土)庄内 Loose
「BarALL MEMORIAL LIVE in LOOSE」
19:30/20:00 ¥1500(+1オーダー)
マサ・タケダ/吉田ふくたろう/進藤宏希

◼︎2/28(火)梅田ハードレイン
『We're going on holiday tomorrow!!!』
18:00/18:30 ¥1800/¥2300
山田祐伸(北海道)/ズカイ/二十人/APARTMENT/進藤宏希/水車

◼︎3/26(日)大阪 扇町para-dice
para-dice presents 『はじまりはいつも豆 〜第四夜〜』
18:30/19:00 ¥1700(+1drink)
進藤宏希/シゼンカイノオキテ

◼︎4/1(土)塚本エレバティ
詳細未定Coming soon...

◼︎4/4(火)大阪 心斎橋 酔夏男
『四月四日』
18:00/18:30 ¥2000(+1drink)
進藤宏希/いおかゆうみ/杉野明日香/小川洋平/リュウジ/かわはらだゆうま(ツバクラメ)

◼︎4/8(土)扇町para-dice
コントラリーパレード presents『Do you believe in music? vol.2』
18:30/19:00 ¥2000(+1drink)
コントラリーパレード(東京)/ときめき☆ジャンボジャンボTRIO/進藤宏希

◼︎4/16(日)神戸 元町space eauuu
『STRANGE BOUQUET VOL.17 〜昼クラブ〜』
詳細は以下のURLから!
http://strangebouquet.tumblr.com/
http://sbouquet.blog67.fc2.com/blog-entry-298.html?sp


やっぱり春は変化の季節で、ぼくも環境変化についていけるか…毎日クタクタです。それでも飛び始めた花粉にむせ返りながら朝の空気を思いきり吸いこんで、がんばりたいと思います。

2017.02.12 Sun アヒルの夜 第一話

「良いアヒルが手に入ったから北京ダックしませんか?」
山口からの誘いは唐突だった。
「ぺ、北京ダックて家でできるの?」
「できます」
今夜は予定もなかったので、誘いを受けることにした。
けどアヒルってどうやったら手に入るのん?気になったが聞かなかったのは、誘ってきた山口が獣医師であることを思い出したからだ。聞くのが恐くなった。
恐くても空腹の暇人であるからしっかり呼ばれる。夕方、久方ぶりの外出と、一張羅に着替えて山口の家へ向かった。我が家の真向かいだ。

北京ダックは美味かった。山口は中国に留学していた経験があるから、向こうで覚えたらしい。最近では獣医学の世界でも東洋医学を学んだりするのだ。本場仕込みの北京ダックを堪能し、紹興酒も回った頃に山口は言った。
「来てくれてありがとうございました、森田さん」
「いや、こちらこそ美味いアヒルをご馳走になって。美味かったよ」
ゆっくりと燗の紹興酒を森田の杯に注いで、山口は言った。
「たまにはね、森田さんとサシで飲みたかったんですわ。そりゃ当然お向かいだから、顔はよく合わせるけどね。ゆっくり話すのは十年ぶりでしょう」
「そんなになるかな。山口くんが引っ越して来た頃は何度か飲んだなぁ」
「今は、森田さんは毎日何してらっしゃるんですか?」
「何も。何もしてへん」
山口は黙った。
「あの頃といっしょ。ずっと。なんにもしてへんよ」
森田は筋金入りの無職だ。今年で五十六になるが、最後に働いたのは万国博覧会の頃である。
山口は自分の杯が空になっていることに気づかずにあおって、少し照れたように注ぎなおした。そしてそれを口元に持っていき、飲むのか、飲まへんのかという感じのまま言った。
「三十年ぶりに仕事してみませんか」
山口はそのまま杯をテーブルに置いた。飲まへんのかいと森田が思うのと同時に、山口が白衣のポケットから取り出した札束を「コト…」とテーブルに置いた。置いて立てた。

翌日、森田は駅前通りを歩いていた。
「二百五十万あります」
ゆうべ、森田の目を見ずに山口は言った。いつのまにか葉巻を吹かしている。
「そのうちの百万、頭金として差し上げます。あとは仕事が無事に終わったら、残り九百万。悪い話じゃないでしょう」
森田は受けた。一縷の迷いもなかった。競馬で大穴当てて二億円、三十年でほぼ使い切ってしまってあと七万円しかない。マジで地獄に仏だ。
家に帰って数えたら二百四十八万しかなかったから山口に電話した。森田がガメたのではとのあらぬ嫌疑をかけられ少し険悪になったが、最終的に「払いますから、二万円つけといてください」と山口が折れた。

駅前の美容院「アルマゲドン」に着いた。名前のわりに非常にお洒落な美容院だ。店の中の客達は若く、森田が大昔になくしてしまったキャンパスライフの薫りを皆一様にまとっている。店員もモデルのようにチョッキやシャーツを着こなしている。二十年ぶりだぜ…実はそこは、金使いが今よりもっと荒かった頃に、森田が通っていた美容室があった場所だった。有り金の消耗具合いにおののき、千円バーバーへと鞍替えして早二十年。店こそ替わってはいたが、そこは今でも床屋だったのだ。
森田は深呼吸した。コートの内ポケの札束の感触を確かめ、山口に言われたとおりに美容院「アルマゲドン」のウッディな店内に入店した。
コートを脱ぐことをもちろん勧められたが、もちろん脱がなかった。極度の寒がりなので、暖房上げましょうか、いやこのままでいいです本当にいいですからという不毛なやり取りを経て森田は鏡の前に着席した。
「今日はどんな感じにしましょう」と聞いてきた若い美容師の目を真っ直ぐ見据え、井筒監督っぽい髪型と顔の森田は言った。
「シャギーにしてくれ」
すると若い美容師の目の光が変わった。若い美容師は森田の襟足とかのあたりに鋏を、入れるのか入れへんのかという感じでチャッチャッとやって、すぐにカットを終えた。乱暴に頭を払われた後、急に優しい手つきで森田の肩をゆっくり揉んだ。
「ただ今、くじ引きのキャンペーンを行っております」
若い美容師が持ってきた、「幸運のラッキー!!」と書かれた紙の箱に森田は手を突っ込んだ。ゴトリ、という音が聞こえた。冷たく濡れたような、鋼鉄の黒い手触りがあった。チャカや。

続く
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