DIARY

Home > 2017年01月

2017.01.22 Sun 1/17〜1/19の記録

【1/17 関西空港にて】
視界の端で飛行機が飛び立った。香港行きのジャンボ機だ。
関西国際空港の先端ターミナルで、搭乗時間を待ちながら持ってきた池澤夏樹『エデンを遠く離れて』を読み、時おり窓ガラス越しに南東の方角を眺める。飛行機は次々に、世界中へ向けて忙しく飛び立って行く。観覧車が見えるのは、りんくうの商業施設か。山の上の塔のようなものは、八坂神社というやつだろうか。まだ機内モードに切り替えていないスマートフォンで地図を見ながら、適当に検討をつける。
喉が渇いたので水を買う。美味い。少し残して持って行こう。向こうの水(もちろん市販の)と飲み比べるのだ。
また窓の外を見る。雲が多い。冬の空はさみしい。鳥は無音で飛んでいるけれど、僕の周りはテレビの音声や中国語を話す人々で賑やかだ。

【乗換地、大連にて記す】
やがて搭乗が始まった。中国国際航空 CA152便。機内アナウンスは中国語と英語だ。左右三列ずつのシートは乗客で九割ほどが埋まっていた。ほとんどは中国人で、ちらほらと日本人が混じっているという感じだ。
フライトは問題なかった。密かに心配していた肺気胸も再発の気配はない。機内食は美味しくなかったが、熱い中国茶は美味しかった。その美味しさにふと、中国茶のことをよく知らずに生きてきた我々は、ひょっとしたら人生の何パーセントか損している?というような考えが一瞬浮かんだ。してない。まぁその閃きの是非は置いておいて、とにかく心がホッとする美味しさだった。なぜか機内食にデザートとしてついていたもみじ饅頭は間違いなく日本の(もっと言うと広島の)もので、もちろん美味しかった。
二時間半ほど飛んだだろうか。いよいよ乗換地の大連に着くというとき、飛行機が高度をいくら下げても、雲の中にいるように、窓の外にはクリーム色のもやしか見えなかった。ついに、うっすらと街が見えてきた時、既に高度は4〜500mといった感じ、あくまで「感じ」ですが。
この地方は、冬場はガスが凄くて、上手く飛行機が降りられないことがある、と聞いたことを思い出した。寒い地方だから、石炭をがんがん焚いて暖を取る。その石炭の程度が悪いものだから、有害なガスがわんさか放たれると聞いた。中国の北京や天津の辺りめちゃくちゃ空気が悪い、という話はもはや世界的な一般常識になっていて、中国滞在歴のある知人は皆口を揃えて「マスクを買っていけ」と今回僕に言った。それもPM2.5対策用の、高性能のやつを。鼻毛を育てたければ別だけど。
旅の目的地、天津への乗換えと、入国手続きのため降り立った大連空港は、とてもとても暗かった。今日は休み?免税店が立ち並ぶエリアに今いますが、フロアには少しの街灯のようなものしか灯っていない。店々には一人か二人ずつ、店番の人がいて、皆のろのろ時を咀嚼している。彼らの日常はどんなだろうか。プライベートがどうかは知らないが、日中、仕事中こんな感じである。話し相手もろくになく、忘れられた記憶の底みたいな暗い世界で店番をしている。
だけどこのターミナルも、夕暮れが近い外よりは明るいみたいだ。窓の外に目を凝らすと、煙を吐く煙突が目についた。街並みに、一見して個性は見つけられない。まぁ空港から街を観てもしゃーないわな。と思うと同時に、自分はここには住めない。と固く思ってしまった。固く。柔らかさの概念をひっくり返すような種類の固さである。弾力があるがどうやっても噛みきれない、そんな決意である。暗い街には住めない。
人間には得手不得手というものがある。自分が全方向にひ弱な人間とは思わないし、きっとタフな一面もあると信じているけれど、僕には暗い街の暮らしは耐えられない。
火星や金星に移り住むことを考えれば大連や天津も天国だろうと思うが、宇宙船に乗らなくても日本に逃げ帰られるのだから僕はきっとそうする。
いや、もう少し知る必要はある。もちろんある。まだこの街の何も知らないのだから。でももし中国に出向を命じられたら、会社辞めてでも断るな、おれの決意は固い、と思い、無駄にほんの少し笑った。
そして唐突に、天津への飛行機への搭乗が始まるまでのあと数十分の間、大陸ということを考えてみようと思った。ここは島ではない大陸なのだぞ(大陸に上陸するといつも思う。けど一人間のサイズからすると島国も大陸も大きな陸地で、結局何も変わらないのだ)。

【天津市内のホテルにて記す】
大連空港で、大陸ということについて考えてみようと思った一分後、天津行きの飛行機への搭乗が開始になった。すぐさま搭乗。大阪〜大連間で乗ったのと同じ飛行機に戻る。座り慣れた僕の席へ。中国の国内線となった飛行機、乗客は更に増えてほとんど100%の入りとなった。人のニオイが変わった。
大連から、飛び上がったらすぐに天津だった。天津も、大連と同じくガスが凄い(天津の方がずっと空気が悪いそうだ)。会社の、天津駐在の同僚(後輩)が迎えに来てくれた。
彼は天津生活今で丸一年。時が過ぎるのは滅法早いが、楽しいと感じたことはないらしい。いつも空気が悪く、視界も悪いので、日本に帰って澄んだ青空が見えたら感動するという。泣ける。空気が悪いからといって、じっとしていては気が滅入るばかりなので咳込みながら趣味のサッカーを続けているらしい。
ニイハオと乗った運転手付きの車は天津の市街地へ向かう。天津の運転マナーは中国国内の他の都市と比較しても、かなり悪い方とのことだった。それでも、昔ベトナムのハノイで感じたのや、インドネシアのジャカルタよりはマシな気がしたが、それだけ中国という国が先進国になっているということだろう。市街地には伊勢丹があった。ホテルにチェックインしてから、近所のレストランへ食べに出かけた。天津の滞在歴のある知り合いからオススメされたレストランだ。アヒージョだとかローストビーフのサラダだとか、そういったものをビールやワインで食べた。とても美味かった。物価をよく調べずに来たら、思ってたよりずっと高かった。恥ずかしながら後輩から金を借りた(後でちゃんと返した)。でもローカルな食べ物はとても安いのだそうだ。
ホテルの部屋に置いてあったペットボトルの飲用水と、関空で買ってきた「いろはす」を飲み比べる。味は違う。でもどちらもなんということはなく、うまかった。

【翌1/18の夕方、天津の事務所にて記す】
翌朝。今日は仕事である。僕が働く会社の、ここ天津にある現地法人の事務所へ行き、業務のレクチャーをする。あとまぁ、少し気の重くなるような打合せもする。シャワーを浴びてスーツを来て、朝食をとりに部屋を出た。エレベーターを使いこなせず、朝食の会場になかなかたどり着けなかったが、なんとか出発の時間には間に合わせることができた。ホテルの近くのバス停からバスに乗り、事務所へ向かった。2元(35円ぐらい)で終点まで乗れる。揺れる。
昨日と違い、今日は少し見通しが良い。空気もそんなに悪くないのかな、と思いきや、PM2.5の数値は200を超えていたらしい。よくわからないけど、悪い数値らしい。でも今年の冬場は今までにないぐらい悪くて、400を超える日が続いたりもしたのだそうだ(後から聞いた話だと、700ぐらいの日もあって、その日は空気そのものがまっ茶っ茶だったそうな)。そんなときはこの街で生まれ育った子どもも病気になって、皆天津や北京を逃げ出したという。春夏は、そんなに空気は悪くないという。
空気が悪いのと、あと乾燥のせいか(天津は非常に乾燥した土地で、一年で雨や雪が合わせて数日しか降らないらしい)、業務のレクチャーで話す僕の喉はすぐに真っ赤に腫れて痛くなり、龍角散のど飴が大量に消費された(持って来てよかった…)。
昼飯は、ローカルフードを食べに出た。お目当てだったバオズという、ハンバーガー的なものの店が閉まっていたので、なんちゃら牛肉麺(ニュウロウミェン)を食わす店に行った。一杯8〜12元ぐらい。今1元16円ぐらいなので、高いのを頼んでも一杯200円程度だ。安い。そして美味かった。あまりに美味くて中毒性があるので、あのスープにはきっと麻薬が入っている、というしょうもない話をしたりして駐在員達はハハハとなるらしい。でも実際美味い。店はすぐに客で溢れた。きっと地元の名店なのだろう。
今のところ腹は壊していない。
ちなみに、ここ天津の一般家庭(貧困層でも富裕層でもない、中ぐらいの家庭)では、夫婦共働きでそれぞれが月収5,000元で合わせて10,000元ほどらしい。家賃は3,000元ほど。残った7,000元で生活するのも楽じゃないけど、それでも良い車を持ってる人がけっこういるらしい。ローンも、あるけど金利がバカ高いので、キャッシュで買ってる?確かな根拠のない俄か知識だし数字はうろ覚えなのでスルーしてください。

【翌1/19早朝、天津空港二号ターミナル、ゲート263付近のベンチにて記す】
仕事を終え、駐在員らと事務所から少し離れた日本食の店で夕食をとった。天津では日本食レストランが流行しているらしく、ここ数年で店の数が相当増えたという。それも、日本から天津に駐在している会社員たちだけでなく、地元民から人気なのだという。確かに、店には中国人客がたくさんいた。まずい店も多いが、ここは富山で長年修行した大将がやっているから間違いないのだそうだ。確かにけっこう、美味しかった。現地風にアレンジされた少し残念なメニューもあったけど。

【数日後、自宅にて記す】
夕食の後は先輩達に連れられ、カラオケなどでそれらしくそれなりに遊び、タクシーを捕まえて宿に帰った。途中コンビニで、日本への土産にと甘栗と、胡瓜味のポテトチップス(!)を買った。

翌朝起きると、年に一〜二回しか降らないと聞かされていた雪が降っていた。この雪で大気中の埃が落ちて、少しは空気が綺麗になるだろうかと思いつつ、スリップすんなよと念じながら中国人ドライバーの運転する車で空港へ。
天津空港での手続きは問題なかったが(安全検査でカイロは没収された)、雪のせいか乗り継ぎの乗客の到着が遅れ、二時間弱飛行機の座席で待ち続けた。遅れはしたものの無事に飛び立ち、飛行機は速度を上げて乗換え地の大連へ向かった。更に大連では乗換え時間を大幅に短縮し、最終的には遅れを一時間以上取り戻した。
やはりエアチャイナの機内食は不味かった。帰りはチキンではなくビーフにした(行きはフィッシュではなくチキンにした)。中国茶ではなくビールを飲んだ。金柑のような、食べ方のよくわからない柑橘類が出てきて、周りの中国人の食べ方をチラチラ見ながら食べた。わりと美味かった。
関空に着いてバスで神戸に向かうとき、工場地帯やマンション群を眺めていて日本という心地があまりしなかった。同じ形のものが沢山立ち並び過ぎると工業化された無機質な気配がして気持ちが悪い。中国のマンションなどを見てよく感じる心地だ。
自宅の最寄り駅に着き、コンビニでコーヒーを買って、歩きながら飲んだ。家に帰るとスーツケースを拭き、衣服の埃を払い、洗濯をした。ギターを弾き歌を歌った。


さて、(暇だったから)旅の記録をつけてみようと思いつきで(中途半端な場面から)書き始めて、帰宅まで一応書き終えた。書き終えたのはいいが、人畜無害だけど誰の何にもなり得ないこの雑文を一体どうしてくれよう。出張報告にもならないし、歌手としての日記にも不似合いだし、まぁ単なるメモである。
旅の思い出と言えば聞こえはいいけれど、楽しい旅ならばこんなに記録を残している暇はない。自分にとっても後から見返して楽しい文章とは思えない。
ということで、ひと思いに消去してしまおう、と思ったけれど消すのはいつでもできる。こんなときのためのブログである(?)。載せさせてもらう。よろしければお召し上がりください。そして私のスマートフォンからは、スペースの問題があるため消去させて頂きます。再見!
スポンサーサイト

2017.01.11 Wed

顔は面白い。
今朝、訳あって証明写真を撮った。駅前に置いてある小箱のようなものに入って、狭いところで上着を脱いだりして撮った。機械には「美肌」とか色々書いてあるのに、撮れた写真はとても変な顔だった。時間内なら撮り直しができるので、時間切れになるまで何度も撮り直したけど、何度撮っても変な顔だった。
一番ましかなと思うやつにしたけど、やっぱりとても変な顔だった。自分の顔なのに、よく知らなかった。こんなに顔、いがんでたんや。前髪もうっとうしいし、毛の癖もけっこうつよい。眉毛は太めやのに、なんか情けない。
だけじゃなくて、表情に覇気がないというか、なんか曇ってるねんな。鼻ぺちゃなことや、ほくろが多いことにも33年も付き合ったらさすがにもう慣れたし、そんなに嫌いじゃなくなった、というか自分の顔のつくりに興味がなくなっていた。でも表情は、大事やん?寝不足の寝起きのせいもあるかもしれんけど、それにしても晴れやかさや軽やかさがない。
僕は思った。体力か体調か、精神か、そのすべてか。充実した状態じゃないんやろうと。言葉は嘘ついても、顔は嘘つけないんですね。老けたのはいい。もう少し張りのある顔をしたい。阿呆面でも少しのツヤがほしい。
いくら歌書きでも、憑き物が取れたように、もう少し健全な顔をしていたい。春を待てない。
落ちている理由は本当は自分でよくわかってる。ひとつひとつやけど、もう、変わろうと思った。

2017.01.05 Thu

感受性がひどく鈍ったわけではなく、新しく感じられることも増えた。でも、例えば一本の樹にも、昔なら降るような霊気を感じたけれど、今はそういう感覚はあまりない。空を眺める時間も少し減ったように思う。
夜風から刺さるように何かを感じ取ったり、視界を通り過ぎる色々からつぶさにまた色々を拾い集め、喉に詰めたりする。生きにくい、あの感じを何処かにやってしまった気がする。
そのことに気づいたこの頃。またあの感覚を取り戻したいと思っている。大人の世界に持ち込むのだ。生の感覚をもっと大事にしたい。きっと時間の流れ方まで変わる。
もう会えない人や失くした未来もあるけれど、今でも空を見上げるときは美しい夕焼けを、雨上がりには虹を、夜空には流星を、期待してもいいはずだ。