DIARY

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2016.08.29 Mon

朝、書こうと思ったことを夕方になったら忘れていた。こんなブログでも、読んでくれているようで大変恐縮だ。正直励まされる。よくわからへんけど、ブログには拍手という機能がある。拍手してくれはる人いる。読んでくれる人数全くわからへんけど、きっと二、三人ぐらいやと思ってる。それだけでもすごいことやと思うし、しかもそのうちの二人ぐらい拍手してくれはるということは、すごい確率で拍手してくれてるということだ。優しい。これが噂の「承認欲求が満たされる」というやつなのだろう。ありがとうございます。ここからは礼儀正しく敬語でいきます。

今朝、夢を見ました。よくわからん夢でした。昔仲良かった友達と、大学の頃亡くなったその友達の親父さんが出てきて、小学校の頃と変わらん感じで絡みました。彼とは今では疎遠になってしまって、たぶん彼はもうおれとは絡みたくないと思っているようで、僕は彼との付き合いを無くしたくないなといつもどこかしら思っていて、今朝の夢を見て、あぁやっぱり気にしてんねんなおれ、と思いました。
他にもよくわからん夢を見ました。四時半に目覚めて、あと一〜二時間寝かせてと思いながら寝て見た夢で、夢の中でもあと一〜二時間寝かせてと思いながら、なんか寺みたいな、合宿所の宿舎的なところに明け方帰り着いて床を求めるも、玄関辺りでなんか知り合いの巫女的な人らにつかまってなかなか床に就けないという…おかげで(?)今日は朝からとても眠かったです。
眠いといえば、秋は眠いものと聞きます。夏の間、人はその暑さ、寝苦しさから夜よく眠れておらず皆睡眠不足になっており、秋になって眠りやすくなると夏のツケを取り返すべくやたらと眠くなると。ご承知のとおり秋が来ました。これから雨を重ねる度に町にこびりついた夏の残滓が洗い流され、ある朝きっぱりと秋の空気になります。ほの甘い秋の香りは運動会の記憶を呼び覚ましますが、最近運動会は春なんですってね。熱射病対策と聞きます。秋の方が春より暑いんですかね。

明後日ライブがあります。心斎橋の酔夏男というところで歌います。『夏が終わる』とタイトルのついた日です。大好きな子猫青春さんも出ます。僕も新曲もやります。
その次のライブは9/6塚本エレバティです。そしてその次は扇町パラダイスにて、はじまりはいつも豆 第二夜です!

観に来てくれ。
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2016.08.23 Tue

自分にとって音楽って何なのか、考えたって仕方ない。そうだろうか?
ロックをやるんだから、楽しくなくちゃいけない。楽しければそれでいいんだ。ほんまにそうやろうか?
おれは考えてしまうし、生きるとは何かと考えるように自分にとっての音楽について考えをめぐらせる。考えることで意味とか、今立っている場所をわかろうとする。そうすることが楽しくなくてもそうしたいと思う。それも一つの自然な営みやと思うし、ロックではないかもしれへんけど、まぁそれがおれやし仕方ない。
ここに書くのもそういう考えを記録するというか、メモみたいな要素が多分にあって、そういう意味では読んでくれる人には申し訳ないけどよろしければお召し上がりください。「記録する」それはおれにとって音楽とは何か、の一つの答えでもある気がする。場面場面で出来事や思いや色々な内面の心を歌や音楽に換えて記録する。後から読み返す自伝みたいなものだったりする。人生ってある意味オペラのようなのかもしれない。

そもそも歌を作り始めたきっかけは自分の中の大きな悲しみというか、めっちゃ辛いことがあってそれを処理できず心が壊れそうやった中二の夏、無理くりそれを癒すような歌をこしらえたところから始まった。混乱していた幾つもの感情を少しずつ歌に換えて、少し落ち着いたら曲を作ることが楽しくて、趣味みたいになった。今思えば心をそれに夢中になった状態に保つことで、辛かったところに戻ることを回避していたような気もする。結局長いこと色んな角度や切り口で、そのことを歌にしていたような気もする。
それからも人生は進んで高校、大学と色んなことがあって、幼稚な僕の心や頭では処理しきれないことが幾つもあって、それでも人生は進んでいって景色が変わってしまうから、なんとか自分も転がして少しでも追いつくために、何かある度にたくさんの曲を作って歩みを進めた。
いつからか自分に曲作りの才能があると思ったし友達からも言われて、なんとなくそんな気になって、どこかしら「いつかはプロに」みたいに思ったりしていた。もちろん今では、プロっていうことの意味の捉え方も、なりたいというかありたい姿も当時とは違ってる。けどあの頃そうなりたいと思ったのは、自分にとって音楽や歌がもはやとても大切なものだったからだと思うし、その根本は今も変わってない。

僕にとって音楽や歌を作る行為は、新しい障害物や不具合や錆で心の車輪が止まってしまいそうになったときに差してやる潤滑油のようなものだったように思う。あるいは理解できない物事をとりあえず畳んでしまうための遠回りな定義の作業であるように思う。
ではなぜそれを人前で演奏するようになったのか。曲ができたら、ひとに聴いてもらうものだ、という軽快な真理みたいなものもあると思う。良い曲やから、がんばって、売れてな、みたいなささやかな後押しもあったと思う。でも一番根底にあったのは、作品に対する責任感やと思う。作る者の責任として、できたものをシェアする、人に受け取ってもらわなくてはならないと感じていたのだと思う、堅苦しく言うと。いや、10代の頃なんかは「めっちゃ良い曲できたからみんなに聴いてほしい!」ぐらいにしか思ってなかったけど、深読み過ぎかもしれんけど、こういう心根から来た気持ちやったと思う。これも一つの顕示欲やろうか?モテたいとか、あったけど、あるけど、曲でモテるとは思ってないしむしろ引かれるリスクの方がでかい。。まぁそれとこれとは別でもいいや、根底にあるのは確かに作品に対する責任感であると思う。(特定の誰かに気持ちをわかってほしい、といううら悲しい動機もあったりするけど、それはまぁ置いといて。)
人に曲を提供するのではなく自分で歌わなくてはならない理由は、それが一番手っ取り早いことと、作品としてそれが一番良いというか、自分の歌を歌う人の歌が好きだからだ。
ライブで一曲一曲を聴いてもらうという意識だけでなくライブ全体の流れとかを意識するのは、ライブ全体のクオリティを上げることが歌い手としての僕の価値を高めて長い目でみると一曲一曲の周知に繋がると思うからだ。それでも一曲が霞むような構成にはしたくない。
蛇足かもしれんけどもう一つ言うと、おれはライブでやる曲はコロコロ変わるし、だいたい新曲を中心にやってる。「あの曲やらなきゃ」と言われることもある。それはありがたいし、クソ喰らえとまでは思わないけど、やらなきゃと言われてもやらない。自分自身やりたいか、聴きたいと言われなきゃやらない。ほっといてもそのうちやるよ。ライブは、今の自分を生で見せるものと思ってる。例えまだまだ完成度が高くなくても、それで価値があると思ってもらえないと、と思ってる。そうなってないとしたら、私の不徳の致すところであります。アーティストであることを捨てる気はないので、精進しかない。
蛇足から話を戻す。曲を作るのは自分の精神を前に進めるためであって、大げさに言うと生きるためであって、それを人前で歌うのは作り手としての使命と思ってやってる。使命を果たすための方法が、一番悩ましいところだ。

使命を果たすための方法として、ライブが有効だという手応えは最近とみに薄くて、このままではジリ貧だ、正直そんなふうに感じてもいる。だからたくさんライブをやりたいという気が今は少し失せてる。色んな意味で才能が足りないせいだろう。僕に魅力が足りないせいだ。ライブも上手くやれてないせいだ。プロモーションが下手過ぎる、と言われることもある。でも曲が良くないとは絶対に認めない。自分の信じるもの、または自分の人生に去来した感情たちが、ほとんど唯一の僕のプライドなのだと思う。曲を良いと自分で思えなかったら辞めてるかもしれない。

これからも、やることは変わらない。日々の中で音楽を生み出して、どうにかして演奏をして披露していく。ライブに臨む姿勢も、ライブでやることも、変わらない。頻度が減ったとしても、ライブをやめることも今のところしないつもりだ。続けることでのみ得られるものが、何十年か先に見えるかもしれないから。牛歩でも、螺旋階段を登るように表現者として高みに行きたい。
もっとたくさんの人に聴いてもらうためにはどうしたらいいか。戦略を持ってアイデアを積み上げて、実行していかないといけない。そういうこと考えるの嫌いじゃないねんけどなぁ。自分のこととなるとどうしても、プロデュースとかよりも創作そのものへの興味ばかりを先に走らせて、それ以外をおざなりにしてしまう。自分自身を商品として見る感覚が欠けてるんやろうな。誰か脳たりんの僕に知恵を貸してください。。情けない僕に手を貸して欲しいとほんとに思う。でも厄介なことに自分のやりたいようにやりたいタイプでもあるから、相談しながらで。。
その前に、信頼する人から提案してもらったことやアドバイスされたことなんかも実行出来てなかったりするから、まずは甘えずにやる、自分自身で最低限動くところからやな。。

たくさんの人に聴いてもらいたいというのと、バッハみたいに後世で作品が見直されて評価されて歌い継がれる、みたいな可能性を残すために、僕の曲を色んな人に歌ってほしいなと最近思った。気に入ったら歌い続けてほしい。自分の曲は自分で歌うのが素敵やと思ってきたけど、優先順位考えるとそうも言ってられんし、スタンダードとかクラシックという考え方も好きや。どなたでも、歌ってやってくださいね。コードや歌詞でわからないところがあれば、可能な範囲でお教えしますし。

話がとっ散らかったけど、書くことでだいぶスッキリしたというか、頭の中は整理された気がする。繰り返しになるけど、僕にとっての音楽とは、まず曲を作ること。それは呼吸の延長のように生きるためになくてはならず、僕という不完全な乗り物で人生をドライブするための日々のメンテナンスのような、欠かせない作業であるということ。
そしてそれを披露していくのは、作り手としての使命という意味でのライフワークであるということ。このライフワークのやり方が頭を使うところで、僕が一番足りてないと思われるところで、頑張りたいところ。

整理しなくてはならなかったのは、音楽活動に精力を注ぐことに、理由や意味が必要になったからだろう。それは嬉しくも悲しくもないただの事実。感性が鈍ったわけでもない。長い目で見ると、そういう周期なんだと思う。惑星と同じでしょう。また次の季節もきっと巡る。

長文読んでくれた物好きな方、お疲れさまでした。ありがとうございました。しつこかったやろ…
あと最近ちょっと赤裸々過ぎるかな? ひょっとして、引いてる!?キモい!?むしろ興味ない!?

うるさい!

2016.08.11 Thu

一昨日風呂の中で思考してて発明した考え方。

僕らの生きる三次元の世界においては、時間はベクトルを成さず、時間というのは上書きされる今の連続でしかない。そこでは、過去に伸びる線は存在せず、要は過去は存在しない。
そこでは、過去に属するものは記憶しかなく、今、過去に関しては記憶にしか価値はない。ということは、極端な話良い記憶だけ残して、嫌な記憶を抹消することが出来れば、最終的に人生の価値は思いのままコントロール出来ることになるのでは。
素敵な記憶の連続こそが、まるで宝石の連なったネックレスのように、人生の価値を決めるしるしなのではないか。素敵な記憶、の定義はあなた次第です。

上書きされる「今」を生きてる僕ら、存在しない過去には絶対的な価値はあり得ないのだから、今を含めた全ての「記憶」が人生の価値を決めるのでは!つまり記憶をコントロール出来れば人生の価値をコントロール出来るのでは!
という考え方です。マッドサイエンティスト風やけど、別にまぁ普通っちゃ普通のことですね。でもちょっとびっくりした。

でもこの考え方、穴があって、地球を飛び出して宇宙の果てのブラックホールとか、原始の世界に戻ったりとか、一部の人の精神の中とか、三次元を超えた場所ではこの幼稚な理論は通用しない。そこでは時間も物理的に移動可能やったりするらしいし…



次は、数ヶ月前にふと発見した考え方。

生命の正体は「循環」なのではないか。
死んだら止まる。心臓が止まって血が巡らなくなって脳が機能しなくなる。回っていることが、生きているということなんちゃうかなという発見。
たとえば経済。たとえば自然環境。自立回転し出したら、それは生命を得たというなのではないか。そのうちにどこかが不調を来たし、うまく回らなくなって、ついには解体したり消滅したりする。町や村なんかのコミュニティが、回らなくなって過疎化したり消えてしまう。
そういったコミュニティが、大きな社会の一部であるように、僕ら人間の一人ひとりも、組織とかの一部で、僕らの属する小さな組織も、どんどん視野を広げると大きな全体の一部に過ぎない。
そう考えたら、宇宙までミトコンドリアと対等の一つの命のような気がしてきますね。

ちなみに話は変わるが、死んだら生き物の魂はどこへ行くのか。僕はこんなふうに考えることがある。
僕らの生きる宇宙は、その外側の世界の子宮で、死んだら僕らの魂は胎内を出て行く。死ぬことは生まれることなんじゃないか。
そこは生まれる前の世界かもしれないし、次の世界かもしれない。だけどまた違ったかたちで、会えるかもしれない。


そんなこと考えてるねんで!シンガーソングライターってやばい人種よね…宗教ちゃうで

2016.08.09 Tue

何かやらなくちゃならない、あれもこれもやらなくちゃならない。だけど、あれ、これだったっけな、おれがやらなくちゃならなかったのは?もっと優先すべきことがあったような。これじゃないかもしれない、忘れてしまったそれを思い出して、やらなくちゃならない。空が青いうちに、蝉時雨がやまないうちに。夏なんですね。
宿題だったか、レジャーだったか、食いに行きたい店があったか。限りある夏にいつも気持ちを追い立てられるのは、少年も大人も変わらない。大人になると、適度に「何もしない時間を持つこと」すらToDoになるから余計に面倒だ。
ここ数日、非常にインプットが多くないですか?北朝鮮のミサイル、金曜ロードショーのもののけ姫、リオ五輪、天皇陛下のお気持ち、イチローの大記録、その他色々考えさせられるニュース。テレビばっかりかよ!でも、そういうインプット過多の感受性がアウトプット欲を呼んで、夏の焦りを加速させてる気もする。

話は変わるが「ぬた」が好きだ。あと茹でピーナッツが大好きだ。大人になるとは不思議なことですね。好物が変わるというか、増える。焼きナスも大好きだ。夏だ。

あと夜の町の匂いが好きだ。
音楽で人を感動させるのは難しい。ひょっとしたら、人じゃなくておれを感動させるのが難しいのかな?前よりだいぶ難しくなった。
いつか真夏の野外フェスティバルに出てみたい。ほんとに出たい。夢。夢あるやんおれ!と思った。そのときはバンドがいい。一人でやるよりもっと静かで綺麗な最高の音出したい。最悪、一人でもいい。夢捨てずにがんばる。
冷だしのうどんとか、ラーメンとか大好きだ。普段熱いのを食ってるものを、冷やしで食えることに理屈抜きに興奮する。
音楽で人を感動させるのは本当に難しい。ある意味で冷たくあろう。その上で自分を感動させるに尽きる。
夜の町の匂いが好きだ。

最近めっちゃくちゃ迷惑メール来る。あの手この手を使っておれに変なURLをクリックさせようとする。あるときはSMAPの木村拓也としてまさ「また共演したい。慎吾や剛もまた会いたい言うてるから連絡くれ」と言ってき、あるときは老い先短い富豪として68億円あなたに寄付したいと言ってき、またあるときは39歳の妖艶な熟女・優香として私の秘部を見てくれと言ってくる。ええ加減疲れたよ…

前回の日記でいらんこと吐露してしまったから、消そうかと思ったけどそれもどうかと思い、せめて覆い隠そうと雑記を積み重ねます。

次のライブは8/31(水)心斎橋の酔夏男!良い日なので秘部を観にきてください!

2016.08.05 Fri

コートパインこと村木雄一の名曲、幾つかすごい好きなのあるんやけど、「淀みを愛する」が今聴きたい。あと「アドバイス」とか、懐かしの「深海魚」とか「サンデイ」とか。そのうちまた聴かせてほしいですね。


一昨日、梅田ハードレインで歌った。反省もあるにはあるけどそれはわかってて敢えてそうした結果でもあって、ライブの内容に対しては、動じない。僕なりに良いライブをしたと思ってる。底作るっていうか、抜けるぐらい深いライブしたれと思ってて、一人よがりと思わせる隙もないつもりやった。実際は正真正銘一人よがりやとしても。
毛利幸隆さんの歌素晴らしかった。聴いていて、見ていて気分が良くなった。変な言い方やけど、価値があると思った。お金を払って観に来る価値。はっきりそれがわかるのは稀有なこと。僕の場合たぶんまだまだ「ある意味」とか付いてしまうだろう。
久しぶりのオガサワラさんはまた新境地に行ってた。すごく良い夜やったと思う。


ある日のこと、ライブの日。その日おれの音楽を聴くためにライブハウスに足を運んでくれたお客さんは居なくって、簡単に言えば集客ゼロやった。そしておれは生活費から捻出したお金で少なくないノルマを払った。
ノルマがどうこうという話ではない。いつも集客ゼロというわけでもないし、よく聴きに来てくれる人もいる。でも実際いつも集客に悩んでいる。きっとみんなそうだろう。それで食ってる人は尚更やし、売れてる人でも余計にそうやろうとも思う。
その日はツアーで歌いに来る人がいるということで、その人と対バンしたいというか、会ってみたかった。だから自分の集客力とノルマの条件のバランスにリスクを感じながらも、自分なりのリターンを信じてオファーを受けた。たとえノルマがなかったとしても、仕事の都合をつけたり、家族の理解を得たり、交通費をかけてライブハウスへ赴き、それなりの熱量とアルコールを消費することは大いなるコストである。それでも、ましてやノルマを課されてまで出演したいと思ったから受けた日だ、結果的にお客さんが少なかったり、最悪ゼロでも悔いはない。というふうに最近割り切れない自分もいる。

集客の上手さや努力が圧倒的に足りてないことを棚に上げて言うけど(「みんな死ぬ思いで努力して、色んなこと犠牲にしながらプロモーションやら集客がんばってるんや、そんなこともせずに泣き言言う資格はない!音楽やめろ!」と怒る人もいるやろう。そんなことはわかっとる)、お客さんがいないときに感じる割り切れなさの理由は、淋しさを感じることにあるんやと思う(は!?淋しさ!?よくもまぁポンポンと出たな甘っちょろいワードが!と思う人もいるやろう。そんなことはわかっとる。おれは甘っちょろいんじゃ)。これはある程度売れてる人が集客に悩むのと全く次元の違う話で、もっともっとレベルの低い正直最底辺の話で、自分の音楽は、自分以外の誰からも、誰ひとりからも(少なくとも今日は)必要とされてないと思い知ることで、やっぱり淋しいと感じてしまってる。良い音楽をやってるつもりでいる。それでも事実、ライブ活動する歌い手として、最底辺にいる。おれは何をしてるんや、家で歌ってたらいいやん、という気にもなる。
仕方ないとは思う。お金払って時間使って何かを犠牲にして聴きに行くには僕の歌う歌はあまりに個人的に過ぎて、受け取りがたいものなのかもしれない。僕の音楽を気にかけてくれる稀有な人がいたとしても、ライブハウスまで行くのは少しハードルが高い。実際僕自身、色んな理由で、行きたいと思ったライブのほとんどに行けてないし、平日のましてや出番一番とか、よっぽど観には行けない。それはわかってる。
それでも根がネガティブな僕は、こんな音楽誰にも求められてないんやとか、どこか悲嘆に酔ってみようとしたりもして、それもアホらしいし、変にイヤになったりもする。「そんな日もある」それで済む話やし、そうやって済ませてきたけど、きっと今は少し気分が違うんやな。今書いてることは全て迷走しているおっさんの世迷言かもしれない。世迷言であってほしいとも思う。

あと、例えばツイッターでいついつこんなライブやります!って呟いたり、色々不特定多数に向けて告知するやん。だからこの人はもう、たぶんこの日のライブのこと知ってるはずやから、あえてメールでプッシュするのもどうか、とか正直思ってしまう。それでも自分なりにクソみたいな小心を殴りつけて何人かの人に気持ち込めてメールする。知ってても、来てほしいって気持ちが伝わったら動くものがあるのは、告知受ける側としての経験から知ってるから。それでも、行けないときもある。断るのもつらいやん。だから断らせるのも申し訳ないと思って誘うのも躊躇われることすらある。
この人は絶対、この日のライブのこと知ってて、行くか行かないか自分で決めはると確信してたら逆に連絡しない、とかもある。どれもこれも、情けない。興行を成功させる精神からいうと怒られることやと思う。

正直こういった諸々から解き放たれたい思いが強い。出口がないように思われる。きっとおれは誰かのせいにしようとしてる。そしてそれは間違いなく妄想なのだから、それで上手くいくはずがない。だからやり方を変えたい。いつでもドアを開けておいて、いつでも聴きに行ける存在でありたいけど、開けとくドアを変える時なのだ。自問自答に付き合わせてすみません。
愛情かけて育ててくれてる人、場所に恩返ししたいし、いつもより良い関係築きたい。そのためにも歩き続けないと。自分の足のサイズに合った靴で、歩幅に合った歩みで、着実に。いつか風向きが変われば走れるかもしれない。

本当は、呼んでもらえた日をあらゆる意味で成功させたいのにできないことが悔しくて、いくら良いライブしても申し訳なくて、それが一番辛い。だから、呼んでもらえた日は必ず最高の日にできるように、ちゃんと自分が貢献できる日を見極めて受けないかんなとか、そういうシンプルな話かもしれん。
隔月ツーマンは絶対成功させ続けるぞ!!告知もメールも電話もピンポンもする。覚悟しとけおれ。そして友達たち。泣き言おわり

しかしライブ始めて何年も経つのに、今更何言うてるんやおれは…

2016.08.02 Tue

ぶつけた肘が痛い。骨いったかと思ったよ?ツーマンの翌日、寝ないで実家に帰った。母親からタンスを動かしてほしいと言われて、次男の男手を出動させた。そして階段の手すりのよう説明せん部位でおもくそ肘をぶつけて悟空みたいな声でた。夜は鰻をご馳走してもらったからよかった。鰻が絶滅危惧種になっているのは悲しい。鰻大好きやから、食べすぎないようにしないと。高いからそんなに食えないけど。

丘本浩一さんの10周年の特典CD聴いてる。何度も。10年。僕の場合は26の頃にライブを始めたから、10年まではあと3年か。早い。
丘本さんの曲でこういうとこある。「汚いとこまで見ておくれ」「ええ、もちろん」ここで必ず泣く。

7/29のたかぎしゆかさんとのツーマン、とても楽しかった。たかぎしさんの新曲すごく良かった。好きなニュートラルソングとか、久しぶりに聴く、風の舞う道やったかな、そういう曲も聴けて非常に嬉しかった。せっかくの機会やのにたかぎしさんとじっくり語り合う的なことしなかったことを少し後悔したけど、よく考えたらごくたまにやけど二人で飲むときもあるぐらいやし、別にツーマンの日にこだわるこたないな。これからもよろしくお願いいたしたい。僕のライブ、これまで観た中で一番楽しかったって、たかぎしさんに言ってもらえて嬉しかったです。あと打上げめちゃ楽しかった。パラダイスで爆音でチャゲアス聴いたあとトリキ行ってそのあとカラオケって、絶対何mmか変で幸せやん?

毎日暑い。今年の暑さはこたえる。なぜか?今年から本物のおっさんになったのか?肺切ったのは関係ないか

最近気になること、鰻のこと、養父の星空、車のこと、新曲がたくさんできること、都知事選のこと、相模原の事件のこと、そのほか、色々。一番に気になってること達はやっぱり書けない、し、書く必要ないし、そんなこと言う必要もない。
空見上げて歩こう。うんこ踏んでもいい。それがマイライフやん!
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