DIARY

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2014.10.22 Wed 最近考えていることの一部について

一度落ちてしまったテンション、冷めてしまった熱はまた帰ることはあるのかな。元どおり、ということはないだろう。知らず識らず底を打つまで疲弊して、そのささやかな衝突によってあるものは致命的に損なわれてしまったような気がする。その感覚はまだ、予感と呼べそうな気もするけれど、たぶん外れはしないだろう。
何がそうさせてしまったんだろう。落ち着くところに落ち着いただけ。それが正しいという気もする。いずれにしても過去数年間の、熱に浮かされたような感覚は今の僕にはもうない。
音楽や人生に対する希望は何も失ってないんですけどね。自分が何を求めているのか、それにもっと向き合う時が来ているということだと思う。

最近ずっと考えていること。
個の命や生き死になんて、本当に大したことではなくて、ただの繋ぎでしかないということ。今という大きなものを形成する本当に小さな、文字通り宇宙の塵に過ぎないということ。流れていく大きなもののひと繋ぎになればそれで良くって、子供さえ残せればそれで良くって、そうでなくても死んだ後大地の肥やしになればそれで良くって、そうでなくても今存在していて今を形づくるほんの億千分の一であれればそれで良い。野生動物のことや、地層のことや宇宙のことを考えればそのことがわかる。
そんなちっぽけな「個」である僕がどうしようもなく自分という存在に執着してしまうということ。生きて何かをやりたいと願って止まないこと。人間は悲しくもそういう生き物で、抗いようはないのだろう。それを否定する強さを少なくとも僕は持てない。
人間という弱い動物が、生きていくよりどころにする「生きがい」というもの。その多様さについて考えると胸を打たれる。野生の花のように美しくて愛しいと思う。
僕は僕の生きがいを本当に大事に生きたいと、思うようになった。そうすることが、人間として「繫ぐ」ことに向き合うことにはならないか?そんなふうに思ったりもする。

ただ、僕らはすべからくはかない存在であって、一個のちっぽけな生命体として、いつ訪れるとも知れない死を迎え入れる準備というか、心構えを整えておくことも大事だと思う。それは避けられない、生きることの一部だから。でもたとえば最後まで死を受け入れない、闘い続けるという姿勢も同じ問いに対する一つの答えと思う。
自分が何者で、生きて何ができるか、何をすべきかを追求することと、一方で全体の細胞の一部でしかない自分と待ったなしで巡ってくる消滅を受け入れること。この二つをなごやかに同居せしめる自分のあり方について、ずっと考えている。

僕の生きがいって何だっけ?
ともすれば難題になりうる問いに、一旦シンプルに「音楽」と答えてみる。
じゃあ、自分にとって音楽って何なんだろう。自分が音楽に何を期待しているのか、どうしてあげたいのか、そういったことは、だんだんと変わっていく。今の自分は音楽に何を求めているのか(そう考えると、僕の場合はやっぱり音楽の前に人間があったんだなと思う)
そのことに今までよりずっと真摯に向き合いたい。そう思うようになった。

たとえばライブでは、これからは自分がそのとき本当に歌いたい歌を歌いたい。極端なことだけれど人の期待は無視したい。結果的に誰かの求めるものを提示できる自分であれば本当に嬉しい。だからあの歌聴きたかったとか、そういう意見も自分として欲しい。そのうえで自分と、自分の一部なのか僕がその一部なのか、それともパートナーなのか飼い慣らせない厄介な獣なのか、なんにせよ僕の音楽の趣く方を向いて歌いたい。

僕は余りに、ほんとの意味で甲斐性がなくて、移りゆく生活の中で身勝手な自分自身のために歌を浪費してしまいがちだ。いつか誰かの何かになるかもしれない歌を、もっと大事にしてあげなくちゃと、思っているのだけど。だから、ときどき歌ってやろうと思う。そんなとき、その歌を聴いてやってください。
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