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2017.10.18 Wed 灯台を見に行く 帰路編

神島で目覚める朝。前夜は持ってきたCDウォークマンで、久しぶりに作りかけの自分のアルバムを聴いて、そのまま眠りに落ちた。
朝目覚めても雨はまだ降っていた。風もそこそこ強いみたいだった。波もあるのだろう。
体調は昨日より幾分か良いように感じられた。とはいってもこの悪天候で島に留まっていても仕方ないから、朝飯を食べたらすぐに宿を後にし、8:35発の船に乗り込んだ。船はやっぱり揺れたけど、なんかもうある程度慣れたみたいだった。
鳥羽(佐田浜)に着いたら、すぐに近鉄で帰ろうかとも思ったけど、別に急がないので、雨の鳥羽の町を少し散策することにした。
駅前の、海女さんが獲れたての貝を焼いてくれる小屋の並び。元気だったらここで瓶ビールで軽くやりたかったのに。赤福の鳥羽支店、昔家族で来た、懐かしい。他にも昔家族で来た、でかい海老フライ定食の食える名店「漣」を眺めたりしながら、ぷらぷら歩いた。
また懐かしい場所、城山公園に着いた。昔、少しだけここで遊んだことがあるけど、そのときの印象がいつまでも残っていて、また行ってみたいと思っていた場所だった。そこはやっぱり素敵な場所だった。ここには、晴れた日にまた訪れたいな。
旧鳥羽城の本丸跡を経て、旧鳥羽小学校の校舎(国の有形文化財。三重県初の鉄筋コンクリート建築らしい)を眺めて、ゆっくり、よたよたと駅へ戻った(だいぶ疲れてきてた。ぶり返した感。。。)
なんとなく、崩れそうなまま放置された建物が多いなぁと感じた。鳥羽、とても好きな場所やねんけど、来るたびに悲しくなる。三重県は本当に観光資源豊かな県で、海の幸から松坂牛まで美味いものの宝庫やし、志摩の美しい海岸や離島の独特の文化、更には日本人の心のふるさと伊勢神宮まで、ここに来て触れるべきものが沢山ある。鳥羽の町を歩くと、中には、若い人が始めたと思しき、ちょっとオシャレな良い感じの店も出来たりしてた。けど、観光の中心エリアから少し離れると、そこはけっこう軋む音が聞こえてきそうな、錆びついた雰囲気がしていた(失礼やな。すいません)
好きな町やし、これからもがんばってほしいな〜今はまだ高齢の人とかも元気にがんばってはるんやろうけど、そのうち人が少なくなってきたらホンマにどうなるんやろう。近鉄が今のうちにもっとがんばらなアカンねやろうなぁ。
さてこの町の未来を憂いたりしながらも、だいぶ僕もくたびれた。大阪へ帰ろうと、近鉄特急に乗り込む。快適に二時間で大阪へ。
ちょっと時間を潰す必要があったので、すぐには家に帰らず、梅田をうろついた。昼飯に、阪急三番街のラーメン横綱でネギを食った。
ジュンク堂を思う存分うろつき、本を一冊買って帰宅の途に着いた。いつのまにか雨は上がっていた。傘もどこかになくしていた。家に帰ったら夕方の四時だった。

先を見通すことは出来なくても、何を大事にして生きていきたいかを改めて考えることが出来た。とりあえず、自分のアウトプットがいつも音楽や文章であることに対して、迷いはもともとなかったけど、「それでいいのだ」と前向きに思えるようになったような気はする。
だけどこれまでの10年を振り返ってる余裕はなかったなー。そんなことを思いながら、今風邪の抜けない体を横たえて、なんとなくあの頃経由で今のあそこへ思いを飛ばしている、というわけのわからないメッセージでこの手記を結ぶ。
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2017.10.17 Tue ホワイトタイガー

午後の漁港は静か
アサギマダラが酔ったようにミルクの空を転がった

やがて 汽車がトンネルの手前で警笛を鳴らすように
夜の手前 町はサイレンを鳴らした

新世界より ドヴォルザーク
なぜだかふと 意味もなく思い出したのはホワイトタイガー

あの遊園地にいたホワイトタイガー
どこ行っちゃったのかな

ホワイトタイガー 僕も父親になった
みんなと違う色をしていたこと
知っていても いなくても
君はたぶんひたすらに君だったんだな

2017.10.16 Mon 灯台を見に行く

灯台を見たいと思ったのは、実は脈絡のないほんの思いつきだ。
22歳で今の会社に就職して丸11年が経った。今回の一週間の休暇は、勤続10年の者に会社から与えられるものだ。仮にこれからも今の会社に務め続けたとして、次に同じ休暇をもらえるのは10年後である。
僕は取得期間ぎりぎりの、最後の一週間(10/16〜10/20)をその休暇にあてた。10/25で取得期間は終了なのだ。別に取得期間のいつに休暇を取ったかは、本編に何の関係もない。

家族は今忙しくて、僕はわりと孤独な休暇を過ごすことになる。神島灯台を見に行くというのは、このちょっとした休暇を、一人でどう過ごそうかと考えていたときに閃いた小さな旅のアイデアだった。
一応、10年の節目の休暇なのだから、これまでの10年を振り返り、これからの10年を見通すような時間を持てればいいなと思い、ふと「灯台を見に行こう」と思い立った。道標になるような時間が欲しかったのだ。
あまり遠くには行けないけれど、印象的で素敵な灯台がいい。「日本の灯台50選」を見ると、思っていたエリア内でも幾つかの灯台が入選していた。その中で惹かれたのが三重県、伊勢湾に浮かぶゴッドアイランド、神島にある神島灯台だった。北陸にもこれはという灯台があるが、なんとなく、季節的に、北陸に行くのは少しさみしい。日本海よりも太平洋の気分だった。それに、島に渡って行くことが魅力的だった。加えて僕はけっこう三島由紀夫のファンなのだ(神島は三島の小説「潮騒」の舞台)
そんなふうにして神島行きを決めた。一泊二日の小さな一人旅だ。

休暇に向けて仕事を片付けてきた訳ではないけど、休暇前の数週間はとても忙しくて消耗した。そして休暇まで一週間を切った頃、週間天気予報を見ると僕の黄金週間にはこれでもかというぐらい傘マークが並んでいた。全くもってついてない。
更には神島旅行の前日から、風邪の兆候が見られ始めた。喉が腫れていて、背中と腰のあたりがダル痛い。咳も出始めたし、体に力が入らない。本当についてない。持ってない。のである。

旅行当日の朝(今朝だ)、葛根湯を飲んで「えい!」と家を出た。もう行かんとこかな…などと少し弱気になったりもしたが、行くのだ。
神島には、鳥羽から船で行く。まずは鳥羽に行くために、近鉄特急に乗るのだ。僕は一路鶴橋へ向かった。
電車の中、なんだか落ち着かなかった。思えば、一人になって考えに耽るためにわざわざ特急列車に乗って船に乗って離れ小島に行かなくてはならないなんて馬鹿みたいな話だ。だけどそれは必要なことなのだ。ここでは、こんなに人の多いところでは何も考えられない。そんなようなことを心中でブツブツ唱えつつ、あーでもそういうことが簡単にできる静かな場所に住めばいいんか、などとも思いながら、鶴橋に着いた。

近鉄特急の到着を待つホームで、後藤雪絵さんに偶然出会った。後藤さんは四日市の方に行くらしかった。しばらく近況などの話をして、同じ特急列車に乗り込み別々の座席に座った。
途中、いつまでも携帯をいじったりしている自分を馬鹿らしく思ったり、急速に眠りに落ちたり起きたり、持ってきたヘッセの詩集をパラパラしたりしながら(「潮騒」を探したけれど、見つけられなかった。家にあるはずなのに)、二回乗り換えて列車は鳥羽に着いた。

鳥羽に着くと、すぐに鳥羽マリンターミナルに向かった。鳥羽の散策は明日にしよう(もうしんどいし、雨やし寒いし)。でもマリンターミナルで神島行きの切符(大人¥730)を買ったらすることがなくなった。
腹が減っていたので、二階の喫茶スペース「シーラウンジSYM」を覗く。せっかくの昼飯なのでちょっと迷ったけど、体調も悪いしもうここでいいや、と、伊勢うどん定食(¥700)を注文した。
伊勢うどんがおれに優しい。伊勢うどんって、キツそうな顔して優しいよね。葛根湯もちゃんと食前に飲んだ。
気づいたけど、鳥羽はもう中部・東海の文化圏なんやな。味噌カツがあった。言葉のイントネーションは関西寄りな気がしたけど、人によるのかもしれない。
このお店はけっこう人気で、常連客も多いっていうかマリンターミナルで働く人が皆食いに来てるだけかな。みんな、何を注文するかは言わずに「一つ」とか「二つ」とか数だけ伝えて通ってる。名物があるんですねきっと。トンカツ定食かな。
飯食ってから出航までダラダラと暇な時間を過ごした。会社から来た仕事関連の連絡に対応したりもした。

14時になって、いざ出航である。おれは神島で何かを掴めるのか。
今日のハイライトの一つがこの船だ。もうめっちゃ揺れて、ジェットコースターみたいやった。船体が跳ねて落ちるときのお腹のこしょばさ。めっちゃわらけてきた。若干しんどくもあった。
海って生きてるんやなーってうねる波の上ぶっ飛ばし(高速船だから。めっちゃ速かったから。)ながら、改めて思った。海にはたくさんの生きものがいる、っていうよりむしろ海自体が生きてるという方が正しいんやろう。海、風、地球、生きものの上に暮らしているのだなぁと思えた。波に揺られるのは怖い。これは生命の危険を感じるからだと思う。生命の危険を感じるとき、人は生きている実感が湧くものだから、しょうもないことで迷ったときは、海に出ればいい。

神島では、風雨が凄くて、灯台で自分を見つめ直してる場合ではなかった。びしょびしょになりながら熱っぽい体で灯台まで登って行ったけど、正直本当しんどかった。靄や霧で煙る海はなんにも見えないし、時折風が恐ろしい音を伴って海の向こうから吹いてきた。風は、海を渡ってくるのだ。靄の向こう、遠くの島にも灯台の光りがあるようだった。アサギマダラが困ったように飛んで、僕を惑わせた。灯台は今も現役で、くるくると頼りない光を煙る海に投げかけていた。
背後には手つかずの山と森があった。都会から少し船に乗ってくるだけで、僕らの日常とはかけ離れた世界(水平線、荒れる海、灯台、手つかずの山と森)があることが不思議に感じられた。

なんとなく思ったのは、遠くまで見通すことは、少なくとも今の僕にはまだ出来ないんだなということ。先の見えない未来を一歩ずつ進んで行くことしか出来ないのだ。これは計画的に生きる才能の問題なのかもしれない。いずれにしても、それが僕の現時点の答えである気がする。
それでもいい。そうやって進んで行くのはいいんだけれど、不安なのは、ここで大きな方向転換をすべきだ、という局面が来たときに、それにしっかり気づけるか、舵を切れるのかということ。そのために必要なのはたぶん、直感を信じられる自分でい続けること。

大事なことやものが、やっぱり増えてきているのだと、ふと思った。
ずっと音楽を大事にしてきて、結果的に言葉も大事にしてきたのもあって、最近、文章を書くことも自分の重要なアイデンティティになってきている。
次に大事になるものは何だろう?具体的な何かかもしれない(だったらいいなと少し思う)
でも、もう少し漠然とした、ライフスタイルとか大事にしたいものごとの集まりが、それに当たるんじゃないかという気がしてきている。
気になることが増えてきたのだ。それは家庭を持って子どもが産まれて、将来に対する責任を認めたことも大きく影響しているかもしれない。自前の感受性が色々なものごとを拾ってきた結果に過ぎないかもしれない。
自分が大事に思うものごとに囲まれて暮らしたい。その上で音楽や文章を紡いでいきたい。

自分の一生の仕事を見つけたいと、三十歳になる前後からかな、ずっと考えていた。そしてそれはなんとなく、音楽以外のことで、と思っていた。
だけど最近、その考えが少し変わってきた。僕は、音楽や文章は、自分のためにやりたいと、頑なになっていたんだと思う。そもそも、自分が人生を歩き続けるために選択の余地もなく始めたことだ。音楽には、他者に何かを訴えかけるツールとして以前の役割が僕にとってはあったから、それで稼ごうとして本末転倒になることを恐れたのだ。音楽を作る動機が変わって、出来たものの純度が下がれば、僕は幸福から遠ざかることになる。それが嫌だったから、音楽を仕事にしたいとは、思わない「ようにしていた」。
だけど、翻って世の中のために僕に何ができるかと考えたとき、今は、音楽や文章というのが一番自然な答えであるような気がしてきている。
僕は音楽や物語を描くことが出来る(たぶん)。ストレスも含めたあらゆるインプットを作品に『昇華』することで自分の中で折り合いをつける、珍しいタイプの人間だ(と、高校の頃、勉強の出来る友人に言われた)
だったらその特性を、活かすべきなんじゃないかな、フルに。そんなふうに少し思い始めている。プロの音楽家、職業作家、何をどうすればそうなれるのか、わからない。ちょっと違ったかたちでやりたいという気持ちもある。でも手段は別として、そんな気持ちになってきている。
そうなれれば、あらゆる環境や出来事が、ポジティブなインプットに変わるはずだから(そうはいかなかったり、するとは思うけど。)、生き方として僕には向いている気もする。

そんなふうに音楽と言葉を大事にしながらも、それらを活かした別のかたちの社会貢献っていうかやりたいことも実現していけるような、独立力のある人間になりたい。
でもどうすりゃいいんやろな。今の世の中、ネットで発信、大勢と繋がって、見てもらって話題に上がることが肝心、インスタ映えが絶対条件、ポイント制、コト消費、IoT、コネクテッドインダストリー、、、ビジネスとして成立させるには、そういうのが大事なんでしょ?
そういうのが、イヤやねん、苦手である以上に。こうやってりゃいいんでしょ、ってホンマにみんな思ってるんやろうか。だとしたら、薄っぺらすぎる。それによって損なわれてるものに目を向けたいけどな、どっちかっていうと。
コト消費の方向性には賛成やし(名前は嫌い)、口コミの力は本当に大事やと思う。けど、なんか今いけてるとされてる情報発信のツールに全体的に薄っぺらさと胡散臭さを感じている。ツイッターは割と生々しいと思うねんけど、それはそれで気持ち悪いしな、時間もかかるし。
いよいよおれは紙媒体が好きになってきてるんかな?でもこの文章もブログに上げる。何が言いたいのかわからなくなってきた。腹が減った

以上の後半は、寒さに震えて宿に帰ってから言葉にしたことだ。宿に帰って、ボーッとしながら晩飯の時間を待っていたら、激しいオカンに襲われた。なので熱い風呂に入った。それでようやく落ち着いて、ポカポカしながら思いを巡らしつつ書いた文章である。
今は既に、晩飯にありついて熱燗二合頂いて、十二分にふわふわした午後七時だ。雨はしつこく降っているみたいだ。

僕は今、おかずを食べ終わって、なかなか来ないご飯を待っている。
と思ったら、刺身がもう一回来た。サービスだそうだ。なんか、ありがとうございます。美味い。言うてる間にご飯とにゅうめんが来た。美味い。
あー、腹いっぱいや


続く(たぶん)

2017.10.11 Wed 夜の歌

最近は夜の歌しか歌えなくなっています。
夜についての本を読んでいたこともあるし、ここ数週間基本的に元気がないから心が夜に寄ってしまっていることが理由と思います。夜の暗さが心身を癒してくれるように、痩せて乾いてしまった胸には夜の歌が優しく沁みます。

なぜ元気がなくなってしまったかについては複雑ですが、大局的にいうとまぁそういう時期なんだと思っていて、そのこと自体はある意味の転機でもあって、この心持ちを運んできた風を静かに歓迎しています。
直接的には、たぶん秋に心が弱いこと。あと前回やその二つ前のライブの出来に深く落ち込んでいて、自信をなくしていること(自分でも少し意外なほど)
あとは仕事で色々とトラブルがあって悩みが絶えないこと。あるレベルにおいて人生に迷い続けていることへの焦り。今の家や周辺環境への不満。そしてある喪失。
色々な諸々が絡み合って出来上がった混乱も、落ち着いて見れば結び目なんてなくてそれぞれの問題に過ぎないのですが、質量的には積み重なってくるわけで、それを受ける僕自身は身の振り方も考えざるを得ないというかなんというか…。とにかくここ数週間、元気な明るい歌を歌える気分ではないんですね(もともとそんな歌ないけど)
だから最近は、新しい歌ばかりを歌っている。もうすぐ一ヶ月ぶりのライブだけど、セットリストを考える気になんてなれない。新しい歌ばかりを今は歌っている。一人通勤途中の路上で、小声で。
ここ一ヶ月の間に、三曲出来たのですが、その三曲を繰り返し歌っている。どれも夜の匂いのする曲です。「輝きをなくした人へ」という曲と、「でもきれい」という曲と、「ため息」という曲。

夜眠る前、部屋を暗くして窓を開けてしばらく月を見上げる時間が最近の救いで、昨夜、窓辺に体育座りの座敷わらし(34)は改めて思った。
それでもやっぱり歌に支えられているんだなぁと。

2017.10.04 Wed

こんなゴミゴミした世界に産み落とされた僕らはある意味全くもって不幸だ。なぜ当たり前のようにこんなせせこましい世界で生きて死ななければならないのか。だけどせっかく素晴らしい生を受けたのだから、全くもって喜ばなくてはいけない。

だけどゴミゴミした都会が嫌だ。仲良い人みんな連れてとんでもない田舎に引っ込んで暮らしたい。そこでは建物同士が「おいどけよ、もうちょっとそっちに寄れよ」とひしめき合って乱立しているようなことはなく、互いに1ヘクタールぐらい隔てて遠目に健康状態を確認できるぐらいの距離感で居る。もちろん背の高いビルなんてない。
夜は必要以上の照明は使わず、眩しいLEDの街灯に目を細める必要もない。毎夜、降るような星の下を散歩して、草はらで思い切り寝転がったりするのだ。
浜の方から少しの暖かい光が漏れている。誰かが焚き火をしているのだ。風に乗って、小さくギターの音が聴こえてくる。

妄想だ。いや、夢だ。

世界を夢みたり宇宙を夢みたりする。今僕たちは一体どこにいるんだろう。
こんなにちっぽけな、人間(1〜2メートル程度)が宇宙(半径465億光年以上)のことを理解しようしようしようしようとしているんだぜ。まだたったの0.1%しか理解できてなかったとしても、それだけでもすごい。そう考えたら生命って本当にすごい。
一人の人間が空に届きそうな、そんな宇宙を内面に持った天才が、いるんだろうな。人間だけじゃなく、動物や植物、目に見えない価値や力は今の技術では測れないけれど、本当は宇宙のもっと倍ぐらいの宇宙があるはずだ。生命ってすごいな。
僕は手を伸ばしたら、どこまで届くかな。そうこう言ってるうちにいつか、自分の生命が終わっていくことを知っている。
「もっと自由に生きていればよかった」「やりたいことに正直に向き合っていればよかった」「恐れずにやればよかった」最後みんな思うらしい。このままだと自分だってそう思うかもしれないことを知っていて、なのにそのままでいる僕は、どこか、自分の命は永遠に続くような、無知な魂のかんちがいをこじらせているのか、それともこのままでもある程度満足して死ねるという無垢な魂の目算があるのかわからない。

とにかくまだ終わりの見えない長い長い憂鬱を抱えてときに薄ら笑いながら、僕は今日も今日を生きている。生きている実感は薄れてやしないか。足りないのは喜びか、恐怖か?
時間か、金か、勇気か。

会いに行きたい、上越新幹線に乗って、本当の自分に。角栄ではないけど。
ゴミゴミした都会が嫌だと書いたけど、ゴミゴミした大阪の街と人は好きやったりするからまたこれ。補足してしまった。適当なことを言うからだ。いつも。

東京日帰りとんぼ返り。曇りの日、秋。
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